架空の歴史ノートについて

 現在発表してる架空の歴史ノートを描き始めたのは大学4年生でもう卒業しようかという時期に単位を取り残していた講義を受けながらキャンパスノートに落書きの様に描いたのが発端です。その時は別のノートに描いていて、卒業後、新しいキャンパスノートに架空の歴史ノート第一巻『帝国史  分裂大戦編』を描き始めました。架空の歴史ノートという命名すらその時はなく、架空の歴史ノートと言う様になったのはつい最近のことです。誰かが「あの架空の歴史ノート。」と言っていたのでその名称にしました。

 大学卒業後、スペース+という郊外にあるそば屋さんをリノベーションしたヘンテコ(素敵な!という意味で)なオルタナティブギャラリーでの個展を前に描き上げたこの中二病的ダークファンタジー歴史スペクタクル年表ノートを展示しようかやめようか1週間くらい悩みました。これを出すということは全裸にされ体の毛穴から穴という穴をまじまじと見られるようなものだからです。搬入の時もギャラリーの人に見せず、奥の小部屋にこっそり置いたのを覚えています。このノートのことを当時はなんて説明したらいいか自分でも分からなかったから...でもギャラリーの人も見に来てくれた人もビックリしつつおもしろがってくれたのが、すごくうれしかった。と同時に恥ずかしさもあった。やってしまったとも思った。僕は一応絵描きなのにって。

 でも最近は絵描きだからていう変な意識は持たなくなった。たしかに絵は僕のルーツだ。ノートだって絵を描いていなければ産まれなかった。大学4年生でキャンバスに初めて絵を描き始めた僕は、最初何を描いていいのか分からず、図書館に籠ってたくさん画集を見てはスケッチしたりドローイングしたりを繰り返していた。そうしていると自然に歴史書コーナーに手をのばし始めた。歴史書の挿絵をスケッチしていて「あっ!」と思った瞬間、意識が過去の自分にタイムトラベルした。これ本当です。閃きとも言えるかも。小学校の時も歴史が大好きで学校の図書館に籠っては歴史書や歴史漫画を読んでは家に帰ってノートに架空の歴史年表を描いていた頃に。その頃のノートは中学生の時に全部処分した。架空の歴史ノートはコアすぎて見せられなかったけど漫画ノートやイラストノートは友達に見せたり友達のノートと交換したりして遊んでいたのに突然、友達はサッカーや野球、勉強や不良をはじめた。そのことは黒歴史扱いとなってしまった。みんな同じ事をやりはじめた、みんな同じ事を言い始めた。でもそれが学校。学校はまぎれもなく社会の縮図だってことを感覚的に感じた。自分も無理矢理そうなろうとして...だから架空の歴史ノートを処分した。

 振り返るて良い事ばかりじゃない。必ず闇が見える、でもその暗闇の中だからこそ、輝きという光を灯せる。その輝きに向かって前進することができる。これがまさに中二病的発想!?  しかし、哲学者、歴史家、古典の本にもそう書かれている。歴史を学べば彼らの言っている事が理解できる。僕は人に言われる「歴史て苦手、戦争ばっかだし、同じ事の繰り返しだし。」確かにね...でもそれは学校の歴史の教え方がそうだったからだよ。人の歴史は闇ばかりじゃない、いくつもの光を灯してる。それはまるで巨大都市の夜景のようにキレイなんだ。人はその光を灯しているビルの窓だ。

 僕は絵を描くまで昔の記憶をまったく思い出せなかった。過去と断絶されていた。過去を見ないから先を見れない、だから今を見る。しかし、それでは必ず今に踊らされる。それは自分の立ち位置を物語(歴史)をもたなかったから。でも絵を描くことで過去の様々な記憶とリンクして過去と今が一つの物語として見れるようになった。歴史ノートは特にその中でも主要な記憶のコアを司る物語。絵のルーツと物語はここよりもっと深い場所にあるのだけれど、というか未だに場所を特定できてない...

 たしか小中時代に描いていた架空の歴史ノートは銀河帝国時代まで描いていたはず。人類が異星人とファーストコンタクトする時代の記述はやたら興奮して描いた覚えがある。でもそこまで描けるか分からない、まだ大航海時代のことも描けてない。先のことは分かりません、基本暗闇なので。







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